バーレット大佐は村の広場から立ち上る煙を見て、自隊の下には数個中隊しかいないことを確認すると、それまでのプンカタセットヒルの有利な地点から、コンコード川に架かるオールド・ノース・ブリッジから約300ヤード (270 m)のやや低い平たい丘に移動することにした。その土地はバーレットの指揮下にある民兵を率いるジョン・バットリック少佐の所有地だった。しかも集合訓練地でもあった。イギリス軍の2個中隊がその場所を守っていたが、橋に向かって降りて行き丘をバーレット部隊に明け渡した。
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民兵の5個中隊とアクトン、コンコード、ベドフォード、およびリンカーンから集まった民兵の5個中隊が丘を占領し、他にも加わって来る者がいて総勢は約500名となり、イギリス軍ローリー大尉の指揮する2個中隊90ないし95名と向き合った。バーレットはマサチューセッツの男達に橋に向かって降りていく公道に2列に長い横隊を作るよう命じ、協議集会を召集した。後にリバティ・ストリートと名付けられた道の向こうにあるノース・ブリッジを臨みながら、バーレットと他の大尉達はこれからの行動について協議した。遅れて到着したアクトンのアイザック・ディビス大尉は「私は行くのを恐れないし、行くのを怖がるような男はいませんよ」と言って町を進んで守ることを宣言した。
この時、一堂はコンコードの町に立ち上る大砲の台車や樽を焼く煙を初めて見つけた。多くの者はイギリス軍が町を焼き払い始めたと思った。バーレットは部隊の者に武装を命じ、敵が撃つまでは発砲するなと言い含めた。続いて部隊に前進を命じた。要所を固めていたイギリス軍の中隊はオールド・ノース・ブリッジを渡って撤退を命じられ、一人の士官が橋板をはがして植民地人の前進を止めようとした。バットリック少佐はイギリス軍に橋の破壊を止めるよう叫び始めた。民兵達は縦隊を作って公道の上のみを前進した。公道の両側は春の雪解け水であふれていた。
この時両軍には音楽も旗も無かった。何年も後に植民地側にいた老人が突然思い出したことは、笛の奏者が、ジャコバイトがハノーヴァー朝ジョージ3世に抵抗するときに使った有名な曲「ザ・ホワイト・コッケード」を演奏したということである。これは作り話の可能性があるが、スコットランドの反乱は30年ほど昔のことだったので、イギリス兵の中には「ザ・ホワイト・コッケード」が何を意味するかを理解できた者もいた。実のところ、当時の宣誓供述書にその日の橋で旗や音楽に言及したものは、両軍とも見あたらない。イギリス軍の側面を守る中隊には旗が無かった。民兵も全く旗を持っていなかった。